第71回 – 第80回 (2006年6月~2007年3月)
第71回 - 第80回
2006年6月~2007年3月
第71回 (2006年6月)
「理論的枠組み」を意味する「パラダイム」は日本語になりました。「パラダイムシフト」といえば、天動説から地動説への変化など考え方の転換を指します。「パラダイム」の原語は「(典型的な)例、実例」を意味するギリシャ語のparádeigmaで、それが後期ラテン語のparadigmaを経て英語に入りました。
Parádeigma は動詞のparádeiknumiが語源で、これは「並べてpara-示すdeiknumi」という意味です。そこから「パラダイム」の「例、模範、典型」などという意味がでてきたようです。「並べて示す」という意味が一番はっきり見えるのは、古典語の名詞や動詞の活用変化表を指す場合で、たとえば次のようなラテン語の動詞amāre(愛する)変化表は
単数 複数
一人称 amō amāmus
二人称 amās amātis
三人称 amat amant
「パラダイム」と呼ばれます。
石井米雄
第72回 (2006年7月)
いまでは日本語となってしまった「アドレス」が、「住所」を意味する英語addressであることは中学生でも知っています。この語はラテン語の「まっすぐ」を意味するdirectumから来たことばで、「まっすぐ(にする)」というのが原義でした。
このもとの意味は英語のdirect に見られます。ゴルフで球を打つときのかまえを「アドレス」といいますが、ここに原義がのこっているといえるでしょう。英語ではto address the ball といいます。Addressは、「住所」のほか「開会の辞an opening address」とか「大統領演説the presidential address」など「演説」の意味にも使われるようになりました。「言葉や話を~に向ける」のだと考えればこの意義変化は理解できるでしょう。
Address を動詞として使えば、「話かける、呼びかける」「宛名を書く」。The letter was wrongly addressedは「手紙はあて先が間違っていた」ということ。ちなみにaddress の語頭のad-は、英語のto と同じです。
石井米雄
第73回 (2006年8月)
トイレを知らない人はいないでしょう。英語のトイレットtoilet はフランス語toiletteの借用で、もっぱらアメリカでW.C. = water closet(お手洗い)の意味でつかわれています。
toilette は、もともとtoile(布地)の縮小形で、洗顔、整髪、髭剃りなど、もっぱら「(布をまとって)身づくろいすること」でした。この語が英語に入ったのは16世紀ですが、その時には「着物をつつむ布」を指していました。それが17世紀に入って「髪づくろいをするときに肩にかける布」へと意味が変わり、つぎの世紀では、?髪づくろい?という行為そのもの、あるいはその場所である机を意味するようになり、さらに19世紀になると、そうした机のある化粧部屋へと意味を転じて行きました。 She actually spent an hour longer at her toilette…というWashington Irving の小説の一節は、念入りにお化粧する婦人を表現しています。こうした部屋には机だけでなく、次第に洗面のための施設や、風呂などがもうけられるようになり、それがアメリカでW.C.へと意味が限定され、そこから日本語に入ってもっぱら?便所?を指すようになったというわけです。
石井米雄
第74回 (2006年9月)
GDPが?国内総生産?の略であることはご存知でしょう。辞書には「国民総生産から国外投資の利益を引いたもの」という説明があります。 英語Gross domestic product のdomestic は「国内の」ということでdomestic airlineはinternational airline(国際航空)に対して「国内航空」を指す言葉です。Domestic には、このほか「家庭の、家内の」という意味もあります。Domestic industryは、「家内工業」。これから派生した動詞domesticate には「(動物などを)飼いならす」という意味があります。
これらの語源はいずれもラテン語の「家」を意味するdomus です。とすればdomicile も想像がつくでしょうか。これは堅苦しい法律用語で「住所」を指します。一見関係がないように見えますが、おなじdomus から出た語にdome があります。「丸天井,大伽藍」のことですが、これはdomus がイタリア語duomoとなって「大伽藍」を意味するようになり、それからフランス語のdomeを経由して英語に入りました。
石井米雄
第75回 (2006年10月)
栄養の取りすぎによる肥満が健康の妨げになるということで、ダイエットという言葉が新聞などにしばしば登場します。英語diet からの借用ですが、diet はもともと「食物一般」を指す言葉でした。その語源にあたるギリシャ語の diaitaにまでさかのぼると、意味がさらに広くなり、「暮らし方 way of living」から「住まいadwelling」までを意味していました。それが現在のように「(減量?健康のための)ダイエット」と意味が変わりはじめたのは英国の詩人チョーサー(?1343-1400)の作品「カンタベリ物語」で、ここではdietがある場所では「食物」、また別のところでは近代的な「ダイエット」の意味で使われています。また日本の「国会」を英語でdietと言いますが、これは「一日の行程」から一日の仕事」、「公の会議」と意味がかわってできた言葉です。ちなみにdies とはラテン語でday を意味します。
石井米雄
第66回 (2006年1月)
「パーラー」という言葉を国語辞書で引くと、「軽飲食店」という訳語がでています。町をあるいていると「フルーツパーラー」などという看板がよく目に付きます。飲食店ばかりではありません。ときには「パーラー」という名前がついた「パチンコ店」まで登場します。Parlor は「話す」を意味するフランス語parler から出た言葉です。訪ねてきたお客さんとの会話を楽しむ小部屋というのがもとの意味でした。このような「談話室」である parlor は、13世紀ころまでは、修行中、おしゃべりが禁止されていた修道院のなかで、来客と会話をかわすことがゆるされる小部屋を指していました。それが14世紀になると、大邸宅のなかで内輪の会話をかわす小部屋を意味するようになり、さらに下って一般家庭の団欒の間を指すようになりました。いずれも「話す」ことと関係しています。とすれば、フルーツを食べながらおしゃべりをする店を「フルーツパーラー」と呼ぶのはいいとしても、会話を交わす暇のない「パチンコ店」にまで「パーラー」をつかうのは行き過ぎですね。
石井米雄
第77回 (2006年12月)
「インフラ」ということばが新聞などによく登場します。日本語の辞書にも「インフラストラクチャー」の略とでています。英語で書けばinfrastructure。Structure は「構造」ですから「下部構造」つまり「生活や産業発展の基礎となる基本的な施設や設備」を指します。Infra はもともとラテン語で「下に、下位にある」という意味でした。その反対はsupra。いずれもイタリックにしてそのまま英語のなかでよく使われています。文中にinfra とあれば「下記に」、supra とあれば「前記に」の意味です。「赤外線」をinfraredというのは、スペクトラムで可視の赤色光に隣接している不可視光だからです。infrasonic といえば周波数が低く耳に聞こえない「不可聴音」のこと。一方supra の方は、「上に、超えた」を意味しますから、suprarational は「理性を超越した」、supranational は「超国家的な」という意味。これに「人間の世界」を意味するmundus から派生したmundane をつけたsupramundane は「超現世的な、霊界の」を指します。
石井米雄
第78回 (2007年1月)
イノベーションという英語は、それを大臣の担当にまで使われるようになり、日本語になってしまったようです。意味は「革新、新機軸」ということでしょうか。綴りはinnovation. これをin-nova-tionと分けてみると、意味の中核がnova- にあることがわかります。これは「新しい」を意味するラテン語の形容詞novus の変化形で、動詞のnov?reは「新しくする」、in-のついたinnov?reは「更新する」を意味します。Nova という英語学校がありますが、意味は天文学でいう「新星」のこと。 ところで、novel という語は「斬新な」を意味し、その名詞形はnoveltyですが、novel を見てすぐ思い出すのは、むしろ「長編小説」の方ではないでしょうか。novel は15世紀にはまだ「新しい」という意味でした。それが16世紀になると、たとえばボッカチオの『デカメロン』などにでてくる短い物語を意味するようになり、さらに17世紀に入ると、現在のような「散文の物語」を指すようになったようです。ちなみにnovice 「初心者、見習い僧」、noviciate 「見習い僧の身分」などという言葉の中にもnovus の原義が残っています。
石井米雄
第79回 (2007年2月)
「ホワイトカラー?エクゼンプション」という耳慣れない言葉が新聞に登場するようになりました。一部の「ホワイトカラー」を労働時間の規制から除外し、それによって残業代を払わなくてもよくなる制度とされ、労働組合が導入に強く反対しました。「エクゼンプション」の英語はexemption 。動詞はexempt で、「(試験や兵役や税なの)義務や責任など)を免除する」という意味です。この制度の導入を提起した財界は、exemption を、一部のホワイトカラーに対する「労働時間の規制の<免除>」と見ているのに対し、組合の方は、これによって、「残業代の支払いが<免除>」されるようになる制度と理解したことから生じた食い違いではないでしょうか。exemption from taxation (課税免除)、exemption from military service (兵役免除)、exemption from the penalties (刑の免除)などという用法を見ると、組合側の疑問も分かります。逆に、exempt carrier というと、「タクシー業などのサービス業や農産物などを運ぶ業者」を指し、これは通商法などの規定の適用を免除された運輸会社を意味しますから、企業側の考え方に近いといえるでしょう。いずれにせよ、こなれない英語をそのまま使ったことに始まる混乱といえるでしょう。ちなみにexemption の語源はeximereで、「取り去る」「除く」「例外とする」を意味します。
石井米雄
第80回 (2007年3月)
Optimist と pessimist は、日本語に入って「楽観主義者」と「悲観主義者」の意味で普通に使われていますが、この言葉が作られたのが18世紀で、有名な哲学者で数学者でもあったあのライプニッツの思想に由来するという歴史はあまり知られていません。抽象名詞形のpessimismの方は、optimismにならってやはり18世紀に造語されました。Optimismの語源は「最善の度合い」を表すラテン語のoptimumで、英語ではそこからoptimize 「楽観する、最大限に活用する」という動詞や形容詞のoptimal 「最上の、最適の」が生まれました。Optimum はそのままの形で英語に入り、「最適条件?最高度?最大限」を意味します。Optimumの反対のpessimumは、「最悪な度合い、最悪の環境」、optimal の反対はpessimal で「最悪の」、pessimizeは「悲観する、厭世観をいだく」を意味します。"I am a bit of an optimist, I always look in the bright side of things." を日本語流に言えば「わたしは人生を前向きに生きる」とでもなりましょうか。
石井米雄
エッセイカテゴリ