マドリード自治大学東アジア専門課程日本研究専攻科主任として活躍している高木香世子さんが、海外で日本と日本人について語る意味は何か、異文化の中で自己実現を果たすにはどうしたらいいのか等について話します。教育者?研究者?外交官夫人?二児の母親という多彩な側面を持つ高木さんの生き方と経験談に耳を傾けてみませんか。これからの世界を担う大学生、将来どのようにキャリアを築こうか考えている社会人にとって新しい地平が開けるでしょう。
マドリード自治大学文学博士。上智大学院言語学修士修了後、国際交流基金などに勤務。スペイン人外交官と結婚後、カナダ?シドニー等へ赴任。天皇?皇后、スペイン首相らの通訳など多彩な仕事を経験。スペイン語訳『竹取物語』など日本文学に関する著作多数。趣味は料理。著書El arte de la cocina japonesa(日本食の美)はフランス料理本コンクール外国料理部門最高賞受賞。
学生時代は外国語を専攻し、国際交流基金ではさまざまな芸術文化企画を手がけ、スペイン人外交官との結婚を機に欧米で通訳?翻訳家としても活躍し、現在はマドリードで教鞭もとる講師は、世界股にかける国際人の典型である。だが、「すべては成り行き上で選びとった結果。自分がおかれた状況で出来ることを考え、精一杯努力しただけ」と慎ましく語る姿は、大学時代の学園紛争、女性に対する就職の門戸の狭さ、仕事と結婚?育児の両立など、数々の苦労や気負いを感じさせない。もの柔らかな口調で、異文化?多文化の中の「日本」とは何かを、ざっくばらんなライフヒストリーから紹介してくれた。
日本のキリスト教系ミッション学校では伝統的に外国語教育が盛んである。スペイン修道会付属高校を卒業した講師は、スペインについてもっと知りたいと考え、大学でもスペイン語を専攻したが、初めから特定の研究分野やテーマをもっていたわけではなかったという。しかし、学園紛争の時代にあって国内で勉強することが難しくなり、ひとまず留学し、海外での就職を考えるようになる。その一方、仕事にうちこめば結婚出来なくなってしまわないか、女性でも自立出来るレベルの仕事が本当にあるのか、など当時の日本社会における現実問題にも悩まされた。そんな中、国際交流基金の男性枠の募集に面接にゆき、「お茶くみ」兼英語通訳用員として採用されたという。だが、めぐってきた機会を活かし、ロンドンでの「Japan Style展」(1980年)をはじめとする国際展に参加して日本文化を紹介する展示企画を成功させていく。
次の転機は、スペイン人外交官との結婚という形でやってきた。数年ごとに夫について赴任先の外国で暮らす道を選んだ講師は、外交官夫人として天皇やスペイン首相などの通訳も引き受けながら、2人の子供も産み育てた。また、日本文化を紹介する仕事は執筆?翻訳として続けられ、日本食の芸術性を解説したEl Arte de la Cocina Japonasa(共著1999年、フランス料理本コンクール外国料理部門最高賞受賞)や、博士論文の主題でもある日本の伝承文学における女性の役割を研究した『竹取物語』(2002年)の訳本などとして出版された。
現在、講師はマドリード自治大学東アジア専門課程で日本研究専攻科主任として後進の指導にあたっている。クラスは日本文学、芸術史、文化人類学などで、日本について学びたい学生たちが毎年大勢入学してくる。だが、いわゆる日本学が盛んになったのは最近のことで、90年代初めは欧州で日本語を教えている日本人はわずかしかおらず、さらに博士の資格をもつ者はほとんどいなかった。そのような状況で、講師の学生時代の留学経験や、スペイン人である夫との生活といった自身の体験は、異文化をよみとく視座などを指導する上で大いに役に立った。
こうして講師はスペインにおける日本文化の紹介者?教育者の草分けとなった。的確な状況判断や自分のもつ希少性を活かす発想は、国際舞台でのキャリア形成には重要であるといえる。海外暮らしや国際結婚には困難ももちろん多々あるが、講師の述べるように「人は共通点をみつけてわかりあうもの」と前向きにとらえ、その時々の状況に応じて長所を最大に活かすことが、これからの若者が異文化の中で自己実現を果たしてゆくための鍵となるだろう。