イラク戦後の世界、北朝鮮問題、停滞する日本経済と行政改革???日本が直面する内外の課題は山積している。21世紀の世界をいかに生きるべきか。新時代に適した日本政治と外交の刷新に取り組んでいる改革派、河野太郎議員にその想いを聞く。
1985年米国ジョージタウン大学卒。富士ゼロックス(株)、日本端子(株)を経て、1996年第41回衆議院総選挙にて神奈川第15区で初当選。現在衆議院議員。総務大臣政務官、外務委員会理事等歴任。(株)湘南ベルマーレ前代表取締役会長、神奈川県トライアスロン連合会長、神奈川県陸上競技協会会長。趣味はサッカー、ダイビング、映画鑑賞。
「政治家を『先生』と呼ぶのはおかしな慣習ですよ… ぼくは『太郎さん』がいいですね」。気負いのない笑顔で会場に挨拶する河野太郎氏は、1996年の第41回衆議院総選挙いらい活躍しつづける、フットワークの良さで名を馳せる議員だ。
21世紀日本の進路を考える際、経済、社会、教育、外交?安全保障における「改革」が問われているが、今回の講演会では「政治」に焦点をあて、党派を超えて、新世代の感覚から日本の政治改革を訴えてきた河野氏を迎えた。彼がめざすものは、日本で「もっとも遅れた分野」だという政治の改革のために、なによりもまず、政治離れした日本人の、特に若い世代の興味と理解をうながすことだという。学生ボランティアの政策スタッフ陣、シンクタンクのメンバーと環境政策などを協議する「太郎塾」の設立、ホームページの開設(http://www.taro.org/index2.html)などからもわかるように、一見ユニークだが地道な諸活動には、政治を身近に感じられる場をつくり、単なる政策批判でなく新たな代替案を考え出すところまで責任をもつ姿勢を広く共有したいという願いが反映されているとのことだ。
河野氏の活動の原動力は、自身の経験の中から生まれてきたという。大学で政治学を専攻したのち、1984年に留学したワルシャワの中央計画統計大学で、河野氏は、共産党の独裁政権下にあったポーランドの深刻な食料不足や反政府運動への弾圧を目のあたりにする。当時自宅軟禁中のワレサ書記長を訪問したため、留置場に拘束もされた。そうした「名ばかりの議会があっても、民主主義があるとはいえない」状況への遭遇は、政治に関わる原体験となった。米国の大学を卒業し、会社勤務を経て、1996年から河野氏は日本の政界に足をふみいれることになる。
議員として活動を始めたある時、衆議院本会議での議決に際して「異議はありませんか」と問う議長に対し、河野氏ら数人の自民党議員が「異議があります」と応じたところ、「異議なしと認めます」との一言で会をしめくくられてしまったことがあるという。衆議院本会議にはシナリオがあって、議長がそのシナリオ通りに進行しさえすれば会議はつつがなく運ぶようになっており、仮にその通りに行かなかった場合でも、既存の筋立てに反するような「現実」は起きていないものとして処理されるのが国会の現実らしい。そればかりか、異議の出ないはずのところで「異議あり」の声があがったということで、国会対策委員会などの幹部は「根回しが足りなかった」と譴責すらされたという。また、別な臨時国会の特別委員会で、河野氏が法案採決に反対の立場をとったところ、自民党の委員会理事に呼ばれて委員をクビにされたこともあるという。議員は党の方針には絶対服従ということのようである。
「このように、筋を通そうとするたび理不尽な顛末におわるのはなぜか。それは、近年の日本における民主主義のマヒのために他ならない」と河野氏はいう。「日本の政界には“政府与党“という言葉があって、与党議員は誰でも政府の政策に賛成するのが当然とする暗黙の了解がある。政策の決定には与党の幹部も参加しており、幹部は身内の議員から反対が出るような”失態“がおこらぬよう、日頃から党内をしめつける。しかし、こんな党議拘束システムは日本独自のもので、政府の職についていないかぎり、与党議員であっても反対する自由と権利がある。なのに、ここ数十年、特に高度経済成長期以降は、事なかれ主義的にトップに迎合し、あらかじめ成立した合意にしたがって議事の進行を妨げないのが民主主義であると取り違えている」との河野氏の指摘は鋭い。政治がきちんと課題に直面し、大胆な改革なしには日本の政治や経済の向上はない。そのためにも、真の民主主義が実現され、それに基づいた議会が成立していることが不可欠だということだろう。
また、国際情勢の中でも日本は不利な立場に立たされることが多いと河野氏は言う。国連財政の例では、分担金拠出国の第1位はアメリカ(23-24%)だが、意外なことに第2位は常任理事国でもない日本(約20%)で、その分担額は、常任理事国であるイギリス、フランス、ロシア、中国の4大国の分担額合計よりも大きい。にもかかわらず、日本人の国連職員への採用率は極めて低い。この現実に、日本はなぜ異議申し立てをしてこなかったのか、積極的なアピールが必要だと河野氏は強調する。アジア地域における世界の関心が日本から中国に移行しつつある現実もあり、中東への自衛隊派遣といった米国に都合のいい時だけ同盟を強調されても、日本側からはまともに反論できない構図ができあがってしまっているのだとも河野氏は指摘する。
最後に、「これまでにも日本政府は、日米安全保障条約、米軍基地問題、ODAなど、きちんとした説明をしてこなかった。対決を避けて通ろうとする姿勢が長年の間に積み重なり、果ては国民の政治離れを促してきた。こうした諸問題を避けずに、正面から議論し、誤解をひとつずつ解いていくことが、議員としての自分の課題である」と述べて、河野氏は今後の政治改革にむけて尽きることのない意欲を示した。このメッセージのみならず、一見淡々としながらもたゆまず闘いつづけようとする一貫した姿勢には、党派や主張のちがいをこえて聴衆も共感を覚えたようである。とくに学生たちにとっては、年齢的にも近い等身大の議員の姿は、政治との距離を改めて考え直す大きな刺激となったようだった。