新皇冠体育4(2022)年4月、新皇冠体育グローバル?リベラルアーツ学部に入学した中島クラレンズさんは、貧困の連鎖に陥っている世界の人々の力になることを目指しています。その要となるのは「持続的に教育の機会を提供できる仕組みづくり」であると確信した中島さんは今、教育にまつわる国際法やITリテラシーの領域に自らが学びを深める方向性を見いだしています。自身の学びのビジョンをつかんだ契機は、1年次前期の「海外スタディ?ツアー」でインドを訪れたことです。中島さんのインドでの体験、そこから生まれた学びへのモチベーションについて取材しました。
中島クラレンズさんは、平成15(2003)年にフィリピン人である母の故郷、マニラで生まれた。生後すぐに日本で暮らし始めたが、メーカーに勤める日本人の父の仕事で幼稚園から小学3年までをドイツのデュッセルドルフで過ごした。その後、日本に戻り、中学生になって母とマニラを訪れたとき、初めて「貧困」の現実に出合った。
「家族と一緒にショッピングモールに行ったとき、幼い少女がボロボロの服を着て、『お金をください』『食べ物はありますか』といろんな人に声を掛けていました。僕の母はその子に『お母さんはどこにいるの?』と声を掛けて、パンと少しのお金をあげました。その光景を見て、『こういう問題が今も残っているんだ』という衝撃を受け、また、母の優しさに感動しました」
「どうしたら、貧困の問題をなくせるのだろうか」と自身に問い掛け始めた中島さんは、高校生になって学校の授業でSDGs(持続可能な開発目標)について学んだ。世界には解決しなければならない問題がたくさんある。日本ではまったく感じられないことが海外では普通に起きている。中島さんはそう実感した。そしてマニラで出会った少女の衝撃と、SDGsの「持続可能」というキーワードが化学反応を起こしたのである。
「貧困の持続可能な解決策を考えるには、教育が最も重要だと思いました。子どもたちに教育を施すことができれば、あらゆる分野の専門家を育てることができ、経済的な余裕が生まれることで次の世代を育て、学んだことをつないでいけます。戦後の日本も学校という基盤がしっかりできたからこそ、高度経済成長を果たせました。子どもたちに生きるすべを持たせる。教育制度をしっかり作り上げていく側の人間になりたいと思いました」
貧困という社会課題を教育制度の整備によって解決する。そう志した中島さんが大学を選択するうえで、平和構築に貢献する人材の育成を主眼に掲げる新皇冠体育グローバル?リベラルアーツ学部(以下、GLA学部)が選択肢に入ることは自然なことだった。
「ここだったらいろいろなことが学べると興味が湧きました。英語で教養を学ぶ。英語力を養うこともできるし、世界の課題解決に必要な教養も学べるので第1志望にしました」
新皇冠体育3(2021)年10月、高校3年生の中島さんはGLA学部の総合型選抜試験を受験したが不合格だった。プレゼンテーションは満足のいく出来栄えだったが、その後の面接で失敗をした。中島さんはGLA学部の理念と教育にはほれ込んでいたが、入学後の細かいカリキュラムまで調べていなかった。GLA学部は入学後の1年次前期を「グローバル?チャレンジ?ターム」と位置付け、世界の4カ国?地域のいずれかに約2週間留学し、実体験を通じて学びの動機を高める「海外スタディ?ツアー」のプログラムを設けている。面接試験で試験官に「どこで何を学びたいか?」を尋ねられたが、中島さんは答えられなかった。
それからである。中島さんは4カ国?地域を調べ、そこに自分のテーマとする貧困問題と教育について学べるインドがあることを知った。とりわけ、現地で貧困層の子どもたちに教育機会を提供するNGO「ドアステップスクール」を訪問できることが魅力的だった。自分の学びたいこと、そのものがある。GLA学部に入学したいという想いはさらに強くなり、新皇冠体育4(2022)年2月の一般選抜試験で合格を果たした。
2022年4月、GLA学部に入学した中島さんの驚きは、活発に発言するクラスメイトたちの存在だった。
「GLA学部のクラスメイトと話していると、感じることがムチャクチャあります。自分は物事を突き詰めて考えるタイプの人間ですが、中学や高校では自分なりの考えを持っている同級生と出会えませんでした。すでに出ている答えを追い求めている人が多かったと思います。でも、GLA学部に来てみると、みんな考えています。自分の考えを持ち、そして人に問い掛けることのできる人ばかりです。クラスメイトとの議論はすごく面白いと思っています」
海外スタディ?ツアー
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2022年の海外スタディ?ツアー研修は7月8日の出発が決まり、事前学習が6月18日?24日に新皇冠体育の国際研修施設「ブリティッシュヒルズ」(福島県天栄村)で、6月26日?30日には新皇冠体育幕張キャンパスで実施された。
事前学習では、オンライン留学を通じて、インドはもちろんのこと、他の学生が行く国や地域についても学んだ。インドについては、州によってまったく食文化が異なるなど、インドの多様性を垣間見ることができた。また、現地の学生とも交流した。「なぜ、日本人はそんなに時間に厳密なの? インドでは20、30分遅れるのが当たり前なんだよね」など、インドの学生との会話から日本との習慣や文化の違いについても実感した。
中島さんは実に行動力のある人物だ。彼は大学の事前学習をこなすだけでなく、インド出身の元江戸川区議会議員、プラニク?ヨゲンドラ氏と交流し、インドの経済や歴史について学んだ。さらにインド大使館にも訪問を申し入れ、対応してくれた一等書記官の方にインドについての疑問を投げ掛けた。「やるなら、徹底的にやろう!」という思いで、一緒にインド研修に行くGLA学部の同期生たちを巻き込みながら、自分流の事前学習を敢行したのである。
7月5日、出発を3日後に控えた中島さんはインドでの研修への期待をこう語ってくれた。
「インドという国の発展を貧困に結び付けて学びたいと思います。教育NGOのドアステップスクールへの訪問では、その教育支援のシステムや子どもたちがどんな教育を受けているかを知りたいです。実際に目で見て感じること、現地に行けるからこそ知れることに重きを置きたいですね。そして、友達もたくさん作って、考え方の違いを理解したいです」
2022年7月14日、インド西部のマハラシュトラ州プネーにあるシンバイオシス国際大学の学生寮に滞在する中島さんにリモート取材をすることができた。到着から約1週間、スパイスが効いた本場の料理に苦労しながらも中島さんはインドでの日々を楽しんでいるようだった。到着して最初の印象はゴミの多さだったという。
「空港は思ったよりもきれいで、街は緑が多かったです。でも、市街地に来ると、とにかくゴミが多いことにびっくりしました。公園や道路がゴミでカラフルな模様に見えるくらいです。舗装整備が進んでいない道路も多いですね。高層マンションやショッピングモールはきれいな建物ですが、すぐ近くにトタン屋根のスラム街もある。建物を見ると貧富の格差が大きいことを実感できます」
日本では見たこともない混沌(こんとん)とした風景を目の当たりにしたことで、中島さんにはある考えが生まれた。
「今回の海外スタディ?ツアーの延長として、インドの内政や経済を学んでみたいと思いました。ゴミが増えているということは消費社会が進んでいる。経済はどう動いているのか? ゴミを処理するための条例はどうなっているのか? インドの現状で何が課題かを自分なりに調べて、学び、その課題を解決するには何が必要なのかを考えたいです」
インドでの海外スタディ?ツアーでは、インド文化を学ぶプログラムもふんだんに盛り込まれた。インド式速算術、伝統衣装、ボリウッドダンス、伝統医学、料理作りなど。初めて出合う概念ばかりでインド文化の深さを学ぶうえで役立ったが、中島さんが最も印象を受けたのは、やはり当初からの目的である教育NGO「ドアステップスクール」の訪問だった。
ドアステップスクールでは、学校で十分に学べない子どもたちに勉強を教えている。中島さんたちは街中にある小さな建物の教室、そして建設現場の一画に位置する粗末な建物の教室も訪れた。周辺にはゴミが山のようにうずたかく積まれていた。子どもたちは、そんな劣悪な環境で生活しながらも、訪れた中島さんたちGLA学部の学生を満面の笑みで迎えてくれた。
「とにかく子どもたちの笑顔がよかったことが印象的でした。正直、『貧困だから不幸だ』という考えはよくないと思いました。みんな、『ITエンジニアになりたい』『パイロットになりたい』と高い目標を持って勉強をしています。貧しくても、目に光がある。やりたいことがあって、自分から勉強を受けに来ている。教室に行かされている感じはまったくしなかったですね」
ドアステップスクールには、親が学校に通ったことがなく、勉強を教えてもらえない子どもたちが多いという。親が教育を受けていないからこそ必要な教育がある、と中島さんは実感した。面談に応じてくれたドアステップスクールの創設者、ラジャニ氏の「教育なくして、国は成り立たない。国の基盤をより強くするためには、まず子どもたちの教育が必要であり、子どもたちに教育を受けさせるために親に教育の重要性を説いている」という言葉が心に残った。
「もちろん、この教育活動は途上にあります。すぐに結果が出るわけではありません。でも、この活動が国内で普及していって、『親が教育を受けていないから、子どもにも受けさせない』という負の連鎖を断ち切れたら、インドは本当によい国になるだろうと思いました」
そして、中島さんは体調を崩すなどの苦労もあったが、それでも「インドに来て、本当によかった」と強調する。
「インドに来るのと来ないのとでは大きな差があると思います。ブリティッシュヒルズや幕張で事前学習を受けて、インド出身の議員さんや大使館の一等書記官の方と会って学びました。でも、僕が目の当たりにしたゴミの問題などはここに来たからこそ分かった。そして、海外スタディ?ツアーで経験できたからこそ、インドの経済や内政について学ぼうと考えるようになりました。現地に来なければ、分からないことがある、というのが一番大きな実感ですね」
2022年9月26日、インドから帰国し、1年次後期の授業が始まった中島さんに新皇冠体育幕張キャンパスで話を聞くことができた。帰国して2カ月。印象に残っていることを改めて聞いた。
「貧困問題について日本で調べていたこととインドの現地で感じたことのギャップは大きかったですね。調べるだけでは限界があります。現場では悲惨な現実がありながらも、子どもたちが学べている環境がある。貧困と教育がどのようなバランスなのかは、現地に行かないと分からないことでした」
貧困の悲惨さと勉強できる喜び。そのコントラストを強くしたのは、子どもたちの勉強への熱意だった。
「みんなすごく元気で、明るくて、苦しんでいる印象はありませんでした。新しいものを知りたいと好奇心旺盛で、僕らは知らない国から来た人だから興味津々です。新しいものを見るのがすごく好き。それはインドの子どもも、日本の子どもも変わりませんね。モノが不足している部分はあるかもしれませんが、精神的には豊かで心に余裕さえある。日本では『貧困』というイメージがひとり歩きしていると思いました」
インドで貧困層の子どもと接しながら、中島さんの頭をよぎったのは日本の学校で学ぶ子どもたちのことだった。
「日本では当たり前に学校で学べます。イヤイヤ学んでいる子さえいる。でも海外の貧困地域には勉強したくてもできない子どもたちがたくさんいる。日本の教育が古典的過ぎる印象を受けました。平等に受けられるからこそ、教育の重要性や大切さを、子どもたちが理解していない。日本の子どもたちには、その大切さをもっと教えていく必要があると思いました」
GLA学部では2年次からリベラルアーツの専門科目の履修が始まる。インドでの経験を経て、中島さんはどんな学びを志しているのだろうか。
「世界で活躍するために必要な知識を蓄えていくべきだと考えています。自分なりの知見を広げることで、柔軟に物事を考えられるようになると思います。それと、世界をよくするためには複数の選択肢から適した方法を選べる方がよい。そのためには知識を蓄える必要があります。世界を変えていく、という想いはインドに行ってより強まったと思います」
「とりわけ、グローバル系の学問についてはどんどん学んでいきたい。国際法と教育を関連付けて学びたいと思っています。国際法といっても国際的な法律があるわけではありません。それぞれの国によって違う、教育に関する法律を学んでいきたい。将来的には教育の重要性を全世界で高めていきたいです」
もうひとつ中島さんが積極的に学んでいきたいのがITリテラシーである。
「今、教育はどんどんIT化しています。教育が受けられない地域の原因のひとつは教員の不足です。でも、オンライン授業のようにITで補える部分もあります。教育の基盤を作る側になったとき、ITの視点から提言や提案ができるよう学んでいきたいと思います。今は、ITパスポートの検定試験に向けても学んでいます」
海外スタディ?ツアーでは80人に及ぶ学生が4カ国?地域に留学をした。一人ひとりがそれまでの人生で体験したことのない世界の現実を目の当たりにして、幕張キャンパスに帰ってくる。そこで行われるのは仲間との「体験のシェア」である。
「みんないろんな体験をして帰ってきました。現地で感じた人間だからこそ語れることがあります。日本という環境で育った人だからこその見方もある。それは現地の人の見方とはまったく違います。実際に行った学生同士で体験を共有できるのはよいプログラムだと思います」
海外スタディ?ツアーでの同期生たちとの体験のシェアを通じて中島さんにはある想いが芽生えた。もっと活発に、もっと頻繁に学生同士で意見を交換し、議論をする場を作りたいという想いである。
「あるテーマについて、自由参加でいろんな意見を言える場を作りたい。GLA学部には『GLA入門』『グローバルスタディーズ』という授業があって、4人ぐらいの学生が議論をします。みんな考えていることがあって、その意見がとても面白い。授業のなかだけでなく、みんなで集まって、話せる場所を自分なりに設けたいと思います。いろんな意見を自分のなかに受け入れることで、柔軟な考えを持てるようにもなりたいですからね。海外スタディ?ツアーの体験ももっと共有して、そこで感じた課題についても深く議論できるような場にしたいですね」
インタビューの最後、中島さんの将来の展望について聞いてみた。
「GLA学部卒業後は、大学院で国際法について学ぶことも視野に入れています。その後は、自分の学んだこと、経験を生かせるよう国際的な支援機関の仕事に携わり、教育基盤の整っていない国々の最前線で働きたいですね」
マニラで出会った貧しい少女。高校で習った持続可能という概念。そこから導き出した教育の基盤整備こそが貧困という負の連鎖を断ち切れるという確信。そして、インドで貧困に向き合う子どもたちと直接、交流して描くことができた、目指すべき自分のあり方への道筋。
中島クラレンズさんは、いつか、開発途上国の現場で教育の基盤を現地の人々と共につくり上げる自分をイメージしながら、新皇冠体育グローバル?リベラルアーツ学部での学びを重ねていくのである。(了)