CULTURE

ソウル今便り3「独り飯と独り暮らし」

2022/10/25

文&写真 黒田 勝弘(アジア言語学科韓国語専攻客員教授)

筆者の顔写真

韓国語に「ホンパップ」という言葉がある。「独り(ホン)飯(パップ)」、つまり独りで食事をすることですね。一時は流行語的になっていたが最近はあまり聞かなくなった。それだけ「独り飯」が定着して珍しくなくなったからかもしれません。ところが以前の韓国では「独り飯」がなかなか難しくて食事に苦労した。とくに外国人にとっては悩みのタネだった。 というのは韓国人には基本的に「独り飯」の習慣がなくて、独りで飲食店には入りにくかったんですね。韓国人は“さびしがり屋”なので何でも連れ立ってやる。食事もお酒もお茶もみんなと一緒に楽しむ。そんな社会なので、独りで食事したり酒を飲んだりというのは変人と思われ、人と折り合いの悪い性格に問題がある人間とみられることさえあった。したがって飲食店も“独り仕様”にはなってなくて、独りでは入りにくかったんですね。

独り飯専門のカウンター食堂

それが近年、「独り飯」が急速に広がり、お店も若者街や大学街を中心に新皇冠体育からテーブルまで「独り飯」向けが増えました。ビジネス街でも同じで、カウンターで食事ができる店が増え、結構みんな「独り飯」を楽しんでいます。社会が複雑化し、人間関係も面倒になったので、ストレス解消で「独り時間」を求めるという心理かもしれない。その分、外国人には便利になりました。韓国の“先進国化現象”の一つでしょうか。「独り飯」との関係でコンビニの普及も外国人にはありがたい。韓国語ができなくても簡単にモノが買えて、 飲食もできる。とくに「 おにぎり」の商品化と定着は「独り飯」と深い関係がある。「おにぎり」によって「独り飯」も大変楽になったからです。ここで韓国における「おにぎり」をめぐる面白い歴史を紹介しておきます。

 

「おにぎり」は韓国語で「チュモクパップ」という。日本語の「握り飯」に似て直訳すると「げんこつ(チュモク)飯(パップ)」で、本来は非常食でいささか品の悪い食べ物だった。とくに手でつかんで食べるというのは、伝統的には卑しい食べ方とされてきたため、 まともな食とはみられなかったんですね。そんなものは商品にはならない!したがって韓国のコンビニ業界は「おにぎり」を商品化する際に困った。本来の韓国語である「チュモクパップ」では品の悪いイメージがあるので、売れないと考えた。そこで知恵を働かせて考え出されたのが、日本で商品化されている「おにぎり」を「三角キムパップ」と名付けて売り出すことで、この新たなネーミングで商品化に成功したのです。 これを最初にやったのが日本系の「セブンイレブン」でした。今や「サムガクキムパップ」は韓国コンビニでも主力商品になっている。見事な“日韓食の交流史”の一コマですね。

韓国の代表的コンビニ

一方、同じく日本ルーツである本来の「キムパップ」はお手軽な国民食として依然、人気がある。文字通り(?)「キムパップ天国」の名で全国展開しているも店もあり、留学生はじめ「ホンパップ」にはもってこいです。このように独り暮らしや留学生、外国人にとって韓国での食の環境は実に便利になった反面、外国人や留学生にとっては味気なくなった点もある。たとえば「キムパップ店」をはじめ「ホンパップ」にもってこいの軽食の小規模な店が“無言”になったことです。人件費節約で注文が機械化され、食べ終わって店を出るまですべて無言になってしまった。店の人がお客さんと会話しなくなったのです。若者街や大学街がとくにそうだ。これでは言葉の勉強にはならない。

「おにぎり」ならぬ「三角キムパップ」

若者街に住んでいる筆者は、ランチタイムの軽食に近くにあるベトナム料理店でベトナム麺をよく食べるが、店員との会話が一切ない。キッチンをはじめベトナム女性がいるが、ベトナム語を教えてもらうチャンスがない。「キムパップ店」やコーヒーショップもそんなところが増えている。昔の留学体験でいえば、当時「タバン(茶房)」 といった喫茶店など、 女性従業員がいつも気軽に会話の相手をしてくれて勉強になった。街での会話体験が語学留学生には一石二鳥で効果的なのだが、近年そんなチャンスが減ってしまったのです。

 

外国人にとって韓国暮らしの楽しみスポットに「シジャン(市場)」がある。「街の会話」を勉強し楽しむには便利である。体験でいえば、魚好きの筆者は魚の名前の韓国語は「シジャン」の魚屋でおぼえた。店先に並んだ魚の姿を見ながら「これ何?」「あれは何と言うの?」と聞きまくったのだ。それに「シジャン」には各種の食べ物屋がくっついているから、昼飯はそこで過ごした。学校で学んだ韓国語の現場学習ですね。ところが残念ながら筆者が生む大学街の「シンチョン(新村)ロータリー」からは「シジャン」がなくなり、今やデパートになっている。デパ地下では会話練習にはならない。この「シンチョン」の周辺には四つの大学があり若者街でもあるのだが「シンチョン?シジャン」がなくなって以来、伝統的な暮らしの風景は後退してしまった。代わりがデパ地下や大型スーパーですが、一方で生活的には便利になった点もありますね。冒頭で紹介した「ホンパップ」ともつながるが、野菜、果物、肉、魚…独り用のミニパック食料品が増えたのだ。独り暮らしにはありがたい。韓国でも独り暮らしが急増し、 ソウルの全人口のうち30%以上は独り暮らしだという。その意味では日韓の暮らしの風景は似つつあるともいえますね。