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「フェラガモ」のハイヒールがヒント。名優トム?クルーズ氏も所有するビジネスジェット「ホンダジェット」(本田技研工業)、販売絶好調!

2024.07.23

フェラガモ」のハイヒールにインスパイアされた「ホンダジェット」(HondaJet)。主翼の上面にエンジンを置く画期的なデザイン。二輪/四輪の世界的メーカー、ホンダ(本田技研工業)が世界に送り出す、小型ビジネスジェットの販売が絶好調です。「ホンダジェット」の誕生プロセスと、人気の理由を紐解きます。

主翼の上面にエンジンを置く画期的なデザイン、「ホンダジェット」

主翼の上面にエンジンを置く画期的なデザインの「ホンダジェット」(HondaJet)。世界的な自動車/二輪メーカーのホンダグループ内の「ホンダ?エアクラフト?カンパニー」(HAC: Honda Aircraft Company)が米国で開発?生産するビジネスジェットです。2010年に量産型初号機が初飛行。以降、堅調に販売を重ね、2024年現在で200機以上を世界で販売。

2015年に市場投入され、21年まで5年連続でこのクラスの納入数で世界トップを記録。24年1月末にはシリーズ累計250機の納入を達成。大ヒット映画『トップガン』『ミッション:インポッシブル』など日本でも高い人気を誇る実力派俳優トム?クルーズ氏も自ら操縦しているそうです。

(結論を先取りすれば)ホンダジェットが、世界で高い評価を受けているポイントは4つ。それが、3つの「高い」と1つの「長い」。(1)「客席の高い居住性」(2)「高い燃費性能」(3)「高い静粛性」(4)「長い航続距離」。このような特性により、競合の小型ジェット機との差別化を図ることに成功しているのです。

「ASIMO」に続いて、技術力のホンダが世界に送り出す小型ジェット機

ホンダ(本田技研工業)といえば、エンジンや技術力に定評があります。自動車レース最高峰のF1(エフワン)が象徴する四輪車、二輪車、さらには人型歩行ロボット「ASIMO」(アシモ)などに、このホンダジェットも同社を代表する製品に加わったのです。

「HodaJet Elite (エリート)II」の基本的なスペック(諸元)は次のとおり。最大巡航速度782km/h、航続距離2,865km、全長12.99m、翼幅12.12m、全高4.54m。最大定員は、

「乗員1名+乗客7名」または「乗員2名+乗客6名」。価格は700万ドル(約10.5億円)。

航続距離が2,865kmあれば、東部ニューヨーク州から南部フロリダ州まで給油なしで移動可能。

このホンダジェットはビジネスジェット機の中でも最も軽い「VLJ(ベリー?ライト?ジェット、Very Light Jet)」(最大離陸重量が4.54t未満)に分類されます。

最新型「HondaJet Elite II」紹介動画。(By HondaJet)

ホンダ?エアクラフト?カンパニー(HAC)の拠点はノースカロライナ州のグリーンズボロ市。同州は、アメリカ東海岸のほぼ中央、ニューヨークシティとディズニーワールドのあるフロリダ州のちょうど中間に位置。

HACは、2006年8月に本田技研工業から分社化(本田技研工業100%出資)。初代社長兼CEOはホンダジェットの設計者、藤野道格(みちまさ)氏(2022年4月退任。現技術顧問)。2代目の現社長兼CEOは山﨑英人(やまさき ひでと)氏。同社敷地面積は東京ドームの約11.5倍の広さで従業員はおよそ1,000名。

2015年12月8日、同社は米国連邦航空局(FAA: Federal Aviation Administration)から「型式証明」(TC: Type Certificate、かたしきしょうめい)を取得。この型式証明はFAAが定める強度、性能、安全性、機能および信頼性などに関する厳格な基準をホンダジェットが満たしていることを証明するもの。一般的に、この「型式証明」が取得できないと、航空機は空を飛べません。

世界の旅客機の完成機メーカーは4社だけ!

ここで、前提として世界の航空機産業の概要をつかんでおきましょう。東京大学公共政策大学院の渋武 容(しぶたけ ひろし)特任教授によれば、現在、世界の旅客機のほとんどが完成機メーカー4社で製造されています。それが、ボーイング社(米国)、エアバス社(欧州)、エンブラエル(ブラジル)、ボンバルディア(カナダ)。

また、民間航空機用の大型エンジンメーカーも3社。GE(ジェネラルエレクトリック、米国)、ロールスロイス(英国)、プラットアンドホイットニー(米国)です。こうした数少ないメーカーが、航空機製造市場での厳しい競争に勝ち残ってきたのです(渋武 容(2020)『日本の航空産業』(中公新書) p.40)。

旅客機の製造は、座席数によって大まかに区分、棲み分け。400席以上の大型/超大型機と、200席?400席程度の中型機は、ボーイング社とエアバス社の2社。100席?200席の小型機は、ボーイング、エアバス、エンブラエル、ボンバルディアの4社。「リージョナルジェット」と呼ばれる100席以下の機体は、エンブラエルとボンバルディア。「日の丸ジェット」として大きな期待を集めた「三菱スペースジェット」(MSJ、旧MRJ、2023年2月開発中止)もここに区分(同上 pp.40-42)。

ここで参照した、渋武 容特任教授が著した『日本の航空産業』(2020年、中公新書)は、「東京大学/大学院の人気講義」を書籍化したものだけのことはあり、「この一冊だけ」を読めば、日本の航空産業のすべてが理解できるといっても過言ではない秀作です。新卒/既卒の就活生にくわえ、航空業界関係者にも超オススメの書籍です。

世界のビジネスジェット市場は成長マーケット!

さらに、上記の100席以下の「リージョナルジェット」に含まれますが、数人から10数人程度を定員とする「ビジネスジェット」(小型ジェット、プライベートジェット)のマーケットが存在。

ホンダジェットはまさに、この市場に位置。競合企業には、ガルフストリーム(米国)、ダッソー(仏)、さらには前述のボーイングやエアバスも含まれます。

世界の産業分析情報サイト「フォーチュン?ビジネス?インサイト」(FORTUNE BUSINESS INSIGHTS)によると、世界のビジネスジェット市場規模は2023年に439.7億ドル(6.6兆円)。24年の459億ドル(6.9兆円)から32年には669.7億ドル(10兆円)に成長すると予測され、予測期間中の年平均成長率(CAGR)は5.4%となっています。有望な成長市場です。

ちなみに、「CAGR」は「Compound Annual Growth Rate」の略。日本語にすると「年平均成長率」。「シー?エー?ジー?アール、または、ケーガー、カーガー」と発音。

本田宗一郎氏の子供の頃からの夢「いつか自分も飛行機を作りたい!」

そもそも、二輪/四輪メーカーのホンダは、なぜジェット機の製造に乗り出したのでしょうか?それは、ホンダの創業者である「本田宗一郎」(ほんだ そういちろう)氏(1906年-1991年)の「長年の夢」だったからです。

宗一郎氏は、好奇心と情熱を持って自動車やバイクのエンジンの技術開発に臨み、ホンダを、世界的大企業に育て上げた「名経営者」です。「米国の技術力」に対する憧れと対抗心。常に独自性を重視する探究心。世界最高峰の自動車レース「F1」をはじめとするモータースポーツへの情熱。そうしたチャレンジ精神と、真っ白な「ツナギ」(作業着)を愛する技術者としてのプライドと勤勉性で、ホンダを世界有数の自動車/二輪メーカーに押し上げました。

その宗一郎氏が10歳だった頃。アート?スミスという米国人飛行家が曲芸飛行を披露するために来日。その話を聞きつけて、両親に黙って(静岡県)浜松練兵場に向かいました。入場料を十分に払えなかった宗一郎氏は、近くの松の木によじ登って飛行機を眺めこう思いました。「いつか自分も飛行機をつくりたい!」。

1962年1月には、ホンダは「国産軽飛行機 設計を募集」という新聞広告を掲出。宗一郎氏は、そのとき、社内報で「いよいよ私どもの会社でも軽飛行機を開発しようと思っております」と抱負を語りました。残念ながら、このとき、宗一郎氏の航空機製造の計画は幻となりました。なぜなら、ホンダは、同じ年に参入を表明した四輪(自動車)に経営資源を投入しなければならなかったからです。

カレンダーの裏に鉛筆で描かれたホンダジェットのラフスケッチ

時が流れた1986年、ホンダ社内で航空機の開発がスタート。そして、ホンダジェットのプロジェクトが正式に開始されたのが1997年。その後、紆余曲折を経て、2015年12月、ホンダジェットが市場に投入されました。ホンダ創業者、本田宗一郎氏が10歳のときに抱いた悲願が約100年後に達成されたのです。

ホンダジェットのプロジェクトが始まった1997年以降、その中心にいたのがホンダ?エアクラフト?カンパニー(HAC)の初代社長兼CEOの藤野 道格(みちまさ)氏。藤野氏は、東京大学工学部航空学科を卒業し、1984年に本田技研工業に入社。入社当初は電動パワーステアリングの開発に従事。入社3年目の1986年よりホンダの航空機開発に加わり、航空機開発の先進地である米ミシシッピ州立大学ラスペット飛行研究所に配属。

その後、ホンダの上層部では経費のかかる航空機の研究開発終了も検討されていたのですが、要素研究(基本技術)ならば経費はそれほどかからないため、藤野氏を中心とした航空機の研究は継続。

1997年、藤野氏は、埼玉の自宅で夜中に飛び起きてカレンダーの裏に鉛筆で飛行機のラフ画像を描画。そのラフ画像は、現在でも、インターネット上で見ることができます。主翼上面にエンジンを配置した小型飛行機の図案です。また飛行機の前方突起部は尖った形状をしています。ホンダジェットの具体像が固まった瞬間です。

「フェラガモ」のハイヒールインスパイアされたノーズ

藤野氏(HAC前社長、現技術顧問)によれば、機体開発の中でも難しいノーズの設計に、ハワイで見た高級ブランド「フェラガモ」のハイヒールから得たイメージを取り入れたそうです。「先端形状で美しいものを見ていった時に目にとまり、応用できないかなと思った」とのちに語っています。

「フェラガモ」は、1927年に誕生したブランド。もともと靴職人としてキャリアをスタートさせたイタリア人、サルバトーレ?フェラガモ(Salvatore Ferragamo)氏が創業。フェラガモの靴は「見た目が美しく、足が痛くならない」という理念のもとに作られています。女優のマリリン?モンローやオードリー?ヘプバーンなど多数のハリウッド女優が愛用したことでも知られています。

創始者のサルヴァトーレ?フェラガモ氏は、1910年代にアメリカのカリフォルニア州サンタバーバラで靴の修理やオーダーメイドを手掛ける店舗をオープン。彼の靴は瞬く間に注目を集め、著名な女優や映画関係者の目に留まりました。彼は、1920年代にはハリウッドに「ハリウッドブーツショップ」を開店し、「ハリウッドスターの靴職人」という評判が拡大。

彼は、1925年、「履き心地が良くて足を痛めない靴」を開発するため、南カリフォルニア大学(USC)で人体解剖学を学びました。そこで、「体重は土踏まずのアーチに垂直にかかる」ということを発見し、より快適な靴の制作に取り入れたのです。

1927年故郷のイタリアに帰国。フィレンツェに「サルヴァトーレ?フェラガモ」第一号店をオープン。多くの貴族やセレブなどの顧客を獲得。そこから、アメリカを始め、イギリス、オランダ、フランス、ドイツなど多くの先進国でビジネスを拡大していったのです。

フェラガモの優美さを、ホンダジェットも備えている!

見た目の美しさはもちろん、使う人の心地よさを考えて作られたフェラガモの靴は、世界の富裕層を中心として高い人気を誇っています。現在、フェラガモは靴やバッグのほか、アパレルや香水などの分野にもビジネスを展開。ウィメンズのパンプスの値段は、13万円ぐらいします。

確かに、ホンダジェットの前方部のノーズと、フェラガモのハイヒール/パンプスのつま先部分のデザイン/形状は、とてもよく似ています。つまり、ホンダジェットには、高級ブランド「フェラガモ」からインスパイアされたデザイン上の「優美さ」が備わっているのです。

この1997年の藤野氏のラフスケッチが端緒となり、その後、数々の困難を乗り越え、2015年12月、ホンダジェットが市場に投入されることになったのです。

本田宗一郎氏と「トイレ」でニアミス

ホンダジェットの開発プロジェクトのリーダーだった藤野氏(当時29歳)は、宗一郎氏(当時82歳)に一度だけ会った(すれ違った)と、インタビュー記事で語っています。場所は、ホンダの和光研究センター(埼玉県和光市)のトイレ。そのとき、宗一郎氏は赤いアロハシャツを着ていたとのこと。

当時、藤野氏には、上司から「宗一郎氏に航空機事業のことを絶対に話してはいけない」と厳命が下っていたそうです。役職から退いていた宗一郎氏が、航空機開発の話を耳にすれば、復帰を言い出しかねず現場が混乱するというのがその理由。

トイレでは、藤野氏は、何も話さずに、宗一郎氏にお辞儀だけして過ぎ去りました。その2年後、宗一郎氏は生涯を閉じます。和光の研究所のトイレが、藤野氏と宗一郎氏の唯一の「ニアミス」現場となったのです。もし、あのときのトイレで、宗一郎氏にホンダジェット開発のことを話していたら、宗一郎氏は、ことのほか喜んでくれただろう、と藤野氏は回想しています。

ホンダジェットの設計の根底にある「M?M思想」

さて、二輪であれ四輪であれ、ホンダの「ものづくり」の根底には、「M?M思想」(エムエムしそう)があります。「M?M」とは「マン?マキシマム、メカ?ミニマム」(Man-Maximum、Mecha-Minimum)を略したもの。ヒトが乗る空間を最大にし、機械(メカ)を積む部分は最小にするという考え方。すなわち、小さくても車内空間を広いクルマをつくるのがホンダの流儀。「居住性がいい」「荷物が積みやすい」「荷室が広い」などホンダ車の高評価の根底には、この「M?M思想」が存在するのです。

藤野氏が、ホンダジェットの設計で、エンジンを主翼の上につけた背景にも、この「M?M思想」があるのです。胴体後部のスペースから機械を排除し、人が乗れるスペースに広げれば、小型のジェットでも、乗客はゆったり乗れます。しかもエンジンが胴体に付いていないために、客室の騒音も軽減できます。

小型ビジネスジェットの長所は?

「世界の富裕層の贅沢品」「ステータスシンボル」とみなされる傾向が強いビジネスジェットですが、実際、次のようなメリットがあります。 (1)「移動にかかる時間の短縮」、(2)「ビジネス効率性」、(3)「自由で柔軟なスケジュール設定」(4)「秘匿性の高いプライベート空間」。

ビジネスジェットであれば、わずらわしい搭乗手続、手荷物検査、セキュリティーチェックに時間はかかりません。出発15~30分前までに空港に到着すれば、出国手続で待つこともなく、第三者との接点もなく搭乗可能。機内では、仕事や会議ができ、休息も取れます。大物経営者など重要人物(VIP)や著名人は移動の秘匿性を保てます。また、誘拐や襲撃などのリスクを最小化する、安全性確保や警備面でも最適な移動手段だといえます。

藤野氏、米国航空宇宙学会から「ダニエル?グッゲンハイム?メダル」を受賞

2023年10月、ホンダ?エアクラフト?カンパニーは、2026年の初飛行を目指す新型機の名称を「ホンダジェット?エシュロン」と発表。「エシュロン」は、これまでより最大離陸重量が重くなる一つ上の「LJ」(ライト?ジェット)にクラス分けされる機体で、11人を乗せて北米大陸を横断できる性能を備えます。

(前述の)藤野前社長は航空機ビジネスの本質を次のように説明します。「最初の機体は開発期間もかかるし、投資もかかる。次に開発する機体は、アビオニクスのほとんどが使えるとか、ノーズの設計がそのまま使えるなど、開発費が非常に小さくなっていくのが普通」。ちなみに、「アビオニクス」(Avionics)とは「Aviation」と「Electronics」の合成語で、航空電子工学を意味します。

「機体のサイズなどによるが、(最初の機体と比べて)30%から50%くらいの開発費に抑えられる」と述べています。

藤野氏が言いたいのは、ホンダジェットに続く機体開発は、大幅に開発費が下がることが想定されるなか、より高い価格設定ができれば利幅が増えることから、前途有望であるということです。

2024年5月、その藤野道格氏に、米国航空宇宙学会から「ダニエル?グッゲンハイム?メダル」が授与されました。1929年創設の同賞は航空業界で最も名誉ある賞の一つとされ、過去にライト兄弟の弟や米飛行士のチャールズ?リンドバーグ、米航空機大手ボーイングの創業者らが受賞。藤野氏、そしてホンダジェットが、世界の航空業界で新たな歴史を刻んだのです。

技術力、そしてチャレンジ精神のホンダ。創業者本田宗一郎氏の長年の夢であった航空機の開発。かつては、世界の最高峰にあった日本の航空機産業の復活のサインとしても、ホンダジェットの快進撃に、日本と世界の航空産業やビジネス界から熱い視線が注がれています。

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