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仲代表の「グローバルの窓」

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第74回 We are no longer Chinese, Malay or Indian, we are Singaporeans!(もはや我々は華人でもマレー人でもインド人でもない、我々はシンガポール人なんだ!)

2024.08.20

シンガポールの生い立ち

 シンガポールに赴任して半年も経つと、生活も仕事も軌道に乗り始めました。そもそも淡路島あるいは東京二十三区くらいの広さしかない国ですから、半年もすればだいたいの感覚や距離感が醸成されます。もともと街を散策するのは好きなので、いろんな所を見て回りましたが、主要なところはだいたい行き尽くしました。

 90年代にインドとシンガポールを往復しながらよく出張していたので、そのとき気に入ったボートキー(シンガポールの河口ちかくにあるかつての倉庫街)やサンテックシティ(90年代に開発された商業地区)にまず足を運びました。また、てっぺんに屋外プールを載せたマリーナベイサンズホテル界隈にもよく行きました。このホテルを初めて見たとき(多分2010年頃)は度肝を抜かれました。その奇抜な建築デザインに圧倒されたのです。マリーナベイ地区は今のシンガポールの象徴といってもいいでしょう。多くの観光スポットや建造物がひしめいています。夜景も抜群に美しいです。マリーナベイサンズホテルは外観だけでなく、実は内観もアーティフィシャルなデザインで私の心を満たしてくれます。初めてホテルの前に立ったとき、私はこの国を立ち上げたリー?クアンユー(初代首相、1923-2015)はさぞかし満足だっただろうと思いました。おそらくリーは、ホテルを前にしてここまで国を発展させたことに彼しかわからない感慨を持ったのではないかと感じました。何の資源もない国をよくぞここまでの経済大国に仕立て上げたものだと思います。こんな人工国家は世界でも存在しません。

 シンガポールは1965年に誕生しました。当時のマラヤ連邦から独立したのですが、そもそもシンガポールは、1819年、イギリス人、トーマス?ラッフルズ(東インド会社の書記官)の上陸を機に発展しました。わずか150人ほどの島でしたが、1824年に植民地化し、自由貿易港として発展し、5年後には1万人を超えるまで繁栄しました。

 その後、太平洋戦争の間(1942年2月―1945年8月)日本の占領を許しましたが、その期間を除けばずっとイギリスの海峡植民地でした。日本の敗戦後は再びイギリスの植民地となりましたが、1959年にイギリスの自治領、1963年にはマライ連邦(現在のマレーシア)の一洲となり、その2年後に独立しました。

シンガポール国立博物館

 シンガポールの歴史は、国立博物館に行くとよくわかります。日本の占領時代は、残念ながら暗黒時代と称せられています。日本軍はマレー半島をたった70日で南下し、1942年2月15日にシンガポールを陥落させました。銀輪部隊がマレー半島を進撃したのですが、博物館にはその銀輪(自転車)が展示されています。その直後にシンガポールでも華僑虐殺がありました。日本人として知っておくべき歴史的事実です。

 私が最初に国立博物館を訪れたとき(1995年頃)、リーの演説ビデオが流れていました。Independentという単語が聞こえたので、ああ、独立宣言した日(8月9日)の演説だなと思ったのですが、驚いたのはリーの顔が悲壮感に溢れているのです。独立したのだから嬉しいはずなのになんで悲壮感が漂うの?と思いました。私がシンガポールに興味をもった最初の瞬間でした。リーは涙すら流していたのです。

リー?クアンユーの涙

 赴任してからもう一度このビデオを観てみようと国立博物館へ行きました。しかし、そのビデオはもう流れておらず、リーへの記者会見のビデオが流れていました。8月9日の記者会見です。リーは相変わらず悲壮な表情で、国民になぜシンガポールが独立することになったのかを説明していました。マライ連邦のマレー人優遇政策にともなう華人排除とシンガポール州でのマレー人排除の意識の違いから政府との対立が激化。ラーマン首相との交渉にもかかわらず、両者の溝は埋まらず、決裂。マライ連邦からシンガポールは追い出されてしまったのです。経済を牽引するシンガポール州がまさか追い出されるとはリーの予想を超えていました。茫然自失の状態で独立に署名し、記者会見に臨んだリーは、途中で涙に声を詰まらせ、会見を中断させました。何の資源もなく、淡路島程度の国土と200万人にも満たない人口(1965年当時)のシンガポールにとって、国の前途は多難以外のなにものでもなかったでしょう。” We are no more Chinese, no more Malay, no more Indian. We are Singaporean! “と訴えるリーの目には涙がありました。

 こうして多民族国家が誕生しました。シンガポールは大雑把に言って、華人70%、マレー人20%、インド人10%の国です。マレーシアでは、華人とマレー人の比率が逆転します。ここにシンガポールのマライ連邦からの独立(当時は悲劇)の要因がありました。もはや華人だ、マレー人だといがみ合っている場合ではありません。シンガポーリアンとして国を立ち上げていくしかないのです。リーの悲壮感は、何がなんでも建国するんだという決意と覚悟の裏返しでもあります。出張者が来たとき、私は国立博物館へ行くことをいつも勧めました。この記者会見にシンガポールの出発点があるからです。シンガポールの原点は、まさにリー?クアンユーの涙にあったのです。

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