「帰って来い」
フィリピン会社は、売掛金、棚卸、人員を削減し、また、損金処理をしてスリムな体質になってきました。もともと出向前に企画部の事業部長から「お前の仕事は、リストラを完遂させたあと、再びフィリピンのビジネスを立ち上げよ」というものでした。
リストラは1年間でだいたい目途がつきましたので、ビジネス再立ち上げの種まきを開始しました。2年目は積極的に活動しようと思っていた矢先、本社の常務から「この前の君のアジア社長会でのプレゼンはなかなかよかった。リストラ状態の中、フィリピンの政治、経済情勢を非常にわかりやすくまとめていた」と直接電話がありました。私は前向きなビジネスの説明があまりできない状況下、フィリピンの情勢とそれを踏まえた我々の今後のビジネスチャンスに焦点を当ててプレゼンテーションをしました。損益、売上に貢献できなくてもフィリピン情勢を伝えることで今後の自身のフィリピンでの役割を伝えておこうと思ったのです。
「リストラもある程度目途がついてきたので、そろそろ積極的に動こうと思っています」と言う私に対し、常務は「いや、実は全社的に組織の大改革が予定されていて、海外事業グループがなくなるんだ。それが断行される前に日本に戻って来てくれ。組織改編となると私の人事権もどうなるかわからない。自分の責任があるうちに戻しておきたい」と言うのです。フィリピンへ赴任する前に「単身赴任で行きます。但し、3か月に1度は日本に帰国させてください。費用はもちろん自己負担で」とお願いしたことを常務は覚えていたようです。「君も家族とばらばらだとうまくないだろう。フィリピンは誘惑も多いしな」と冗談まじりに言います。フィリピンに赴任してまだ1年を過ぎたばかりで、いよいよこれからと思っていただけに肩透かしを食らった感じでした。「えっ、もう帰任ですか!」と思わず言ってしまいました。フィリピンにも慣れ、これからやるぞーと思っていただけにとても残念でした。しかし、今振り返れば、帰任命令は常務の親心でもあったのだと思います。リストラは一応目途がついたし、リエントリー母体の海外事業グループがなくなるわけですから、帰任にはちょうどいいタイミングだったのでしょう。
アジア事業第一部(元いた部)に帰任して、帰任の挨拶をしたとき、部員の女性から事業部長に「仲さんはなんでこんなに早く帰任することになったのですか。何かあったのでしょうか」と質問が飛びました。フィリピンでは何が起きても不思議ではないからでしょう。もっとも、この方は私とは気心知れていましたので、半分冗談だったのでしょうが、半分は本気だったかもしれません(笑)
フィリピン社員とタロ(柴犬)とのお別れ
私の後任は、既にフィリピンで勤務しているインフラビジネス(日本からの輸出主体)担当の人でした。彼との引継ぎはほとんどなく、特に夜の引継ぎは彼の方がもっと詳しいくらいなので、全く不要でした。社員は50人から30人くらいに減っていましたが、全員を自宅に呼んでフェアウェルパーティーをしました。フィリピンの家は大きく、単身赴任の身には宝の持ち腐れで、引っ越しも検討していました。しかし、わずか1年で帰任となったため、かないませんでした。ただ、最後になってようやく大きな家の役割を果たしてくれました。リビングに全員が集い、楽しく歓談しました。最後は恒例のロッタリー(くじ引き)!私自身が購入した家具や電気機器を賞品にして大いに盛り上がりました。雷が鳴ると家の中に飛び込んでくる臆病者のタロ(芝犬)は、後任が引き継いでくれました。メイドのいない一人の日曜日は、強盗が万が一入ってくると思うと怖かったのですが、タロがいるお蔭で慰みにはなりました。もっとも強盗が来たら、タロは真っ先に逃げたでしょうが。
エメラルド色のパラワン諸島
フィリピンでの一年を振り返ると、ビジネス的にはリストラが主の活動でしたが、夏休みに家族も来て、パラワン諸島のエルニドに行きました。コッテージ風の宿に泊まり、シュノーケリングや海水浴を楽しみました。カヤックで島や洞窟を巡ったときは、我々家族4人だけとなり、ここで誘拐されたら終わりだなと思いました。実際、2年後に21人の観光客が誘拐され、377日間も拘束されるという事件が起きました。しかし、あの静かでエメラルド色の海はほんとに美しかったです。
フィリピン在住中、睡眠薬強盗事件(第45,46回)はありましたが、それ以外は特に危ないことはありませんでした。同期が言ったようにフィリピンはたしかにパラダイスでした。ただ、私の関係ではなかったのですが、関連会社の方がシンガポールから来て、フィリピーナと高級ホテルに宿泊し、飛び降り自殺をした事件がありました。フィリピーナにはまる男性は多いのです。私もカラオケのお店を出て一分もしないうちにカラオケの女性から、「次いつ来る?明日来る?」という感じで携帯に電話がかかることがありました。フィリピーナ恐るべし!です。フィリピーナに興味のある方は、内田安雄の『フィリピンフール』、浜なつ子の『死んでもいい』、久田恵の『フィリピーナを愛した男たち』を読むとよくわかります。
バナナさえあれば生きていける!
フィリピンの人は健気でした。概して女性は家族を支える戦力としてまじめに働きますが、男性はただ胡坐をかいているという印象があります。暑い国なので、衣服は裸でもなんとかなります。食事もバナナがあれば生きていけます。おおらかで呑気でいい加減な空気感があるのです。何のために生きているのかなんて難しく考える必要はありません。ただ生きていればいいのです。フィリピンからそんなことを学ばせてもらったように思います。最後に一句を掲げて、フィリピン編にペンを擱きます。
南国のしあはせバナナあれば足る 仲 栄司