私の担当業務は、自ら市場を開拓することに加え、現地法人のビジネスを支援する業務もありました。インドでのビジネスは前者ですが、マレーシアでのビジネスは、既に現地法人がありましたので、後者となります。
当時のマレーシアの現法は、マーケティングに優れた社長で、従業員の心を掴み、PCや携帯電話のビジネスを大きく伸ばしていました。宣伝やプロモーションなど巧みなマーケティング戦略とディーラーチャネルのマネジメントをしっかり遂行していたことが成長の大きな要因だったと思います。私もドイツで事業が大きく飛躍した経験をしていましたので、マレーシア社の打つ手がスコスコ入り、余計なコメントはせず、できる限りマレーシア社の要求を実現できるようサポートしました。
今回は、マレーシア社の強さを思い知る出来事をいくつか記したいと思います。まず、私がマレーシアに出張したときのことです。担当課長(私のこと)が来た、ということで、ここぞとばかりに社長からGM、マネジャー、担当にいたるまで、熱心に事業の状況を説明するのです。納期を早めてくれ、価格が高すぎる、こういう商品がいる、プロモーション予算をつけてくれ、といった具合です。私はその日の0時前にKL(クアラルンプール)を発つ夜行便を予約していましたが、22時を過ぎても議論が尽きません。「そろそろオフィスを出ないとフライトに間に合わない」と言うと、社長が私にエアチケットを渡すよう言います。時刻を確かめるのかと思いきや、私のエアチケットを部下に渡して、「行ってこい」と命じるのです。部下も心得たもので、「OK」といってすぐに空港へ車を飛ばしました。社長は「これであと30分は議論できる。あいつが空港で先にチェックインしてくれるから心配するな」と言うのです。こんな調子で、こちらの出張時間を最大限活用して仕事をするのです。この熱心さに私は心を動かされ、「わかりました。市場状況を説明して、納期を早めるよう事業部と交渉します」と言った具合に、何としてもマレーシア社の事業をサポートしようという気にさせられるのでした。
携帯電話の価格交渉の件でも、同じようにマレーシア社の粘りを経験しました。日本で私が事業部と交渉し、値下げした価格を勝ち取ったのですが、「それではまだ足りない」と納得しないのです。「そこまで言うなら日本に来て一緒に交渉しませんか」と日本人のno.2(営業企画系)の方にお願いし、日本に出張に来てもらいました。事業部の計画部の部長の時間を午前中に2時間確保し、じっくり交渉に臨みましたが、決着つかず、結局夜の7時くらいまで交渉は続き、とうとう我々の粘り勝ちとなりました。ここでもマレーシア社の熱心さと粘りにより、更なる価格値下げを勝ち取ることができたのです。
最後は、マレーシア社の現地人マネジャーが日本に出張に来たときのことです。一日がかりで掛川工場に出向き、工場見学と商品計画や価格の打ち合わせを行いました。彼も社長の薫陶よろしく、会議で要求を述べ、粘り強く交渉します。会議は予定をはるかにオーバーし、東京に戻って来たときは既に夜の8時を回っていました。その日は金曜日で、金、土の1泊2日で部内旅行がありました。一人だったら夕食に間に合わずとも宿に駆け付けたのですが、マレーシア社の彼が一緒で、しかも夕食も食べず、東京に戻って来たので、彼を一人にするのは申し訳ないと思いました。さりとて部内旅行に連れて行くわけにもいかないので、結局一緒に寿司屋で夕食を取り、その日の夜遅くまでお酒を飲んで過ごしました。部内旅行は断念です。私をそういう気にさせたのは、彼のビジネスに対する熱心な姿勢でした。今日はとことん彼と飲み、胸襟を開いて話をしようと思ったのです。
彼とはその後、ツーカーで話ができるようになり、よき仕事のパートナーとなりました。先の日本人の出向者の方といい、現地マネジャーの彼といい、当時のマレーシア社の熱心さには今でも頭の下がる思いです。社長のビジネスに対する厳しい姿勢のもと、上司、部下、同僚間の信頼関係がしっかりできていたことが大きな要因だったと思います。その中に私も入れたかなと思っています。
マレーシア社は、携帯電話で43%という驚異的な市場シェアを達成し、維持し続けました。先述した現地人マネジャーと日本人出向者はまさにその当事者でした。ある意味当然の結果だったと思います。
翌週、事業部長から「彼も連れてきて、部内旅行にジョインすればよかったのに」と言われました。確かにそれもありかとは思いましたが、日本語を話せない彼にとってはおもしろくないかなと思い、差しで一献傾けることを選びました。
部内旅行はその年が最後になりましたが、今もってアジアの部のみなさんとは一緒に集まっています。女性陣の強い結束のお蔭です。当時の事業部長は、昨年末ご逝去されましたが、女性陣の呼びかけで五月に事業部長を偲ぶ会を行います。事業部長には部内旅行に行けなかったことを改めて詫びておこうと思います。「今度はマレーシアに部内旅行だな。それなら参加できるだろう」と事業部長はおっしゃるかもしれません。