■魚生(ユーシェン)
シンガポールは、クリスマスが終わったかと思えば、次は旧正月です(だいたい1月末か2月初旬頃)。その間にある新年(日本の正月)は、せいぜい大晦日のカウントダウンで盛り上がる程度です。この国の七割以上は華人で、旧正月が一番のイベントだから仕方ないのですが、日本人としては拍子抜けの感があります。旧正月が近づくと、街のいたるところに色とりどりの正月飾りが掲げられます。街や人の服装は縁起のいい赤一色で染まります。
シンガポールでは、旧正月に必ず食べる料理があります。「魚生(ユーシェン)」というサーモンなどの生魚に、大根、人参、レタスなどの野菜、ソースやオイルを混ぜる海鮮サラダです。食材を一品ずつ大皿に載せていきます。そのとき一緒に縁起のいい言葉をかけます。たとえば、オイルを置くときは、「萬事如意」(すべてが思いどおりにいきますように)という具合です。すべての食材を乗せたあとは、テーブルを囲んでいる全員で、各自願いごとを口にしながら、箸を高く掲げてかき混ぜます。
私がオフィスで仕事をしていた時、突然、人事のマネジャーから来いと言われ、会議室に連れて行かれました。そこでみんなで「魚生」を食べて旧正月を祝いました。私は「ずっとシンガポールにいられますように、この仲間たちと楽しい時間が過ごせますように!」と願いました。
■ライオンダンス(獅子舞)
旧正月のデパートや商店街にいると突然、太鼓や鉦の音に驚かされることがあります。ライオンダンスと呼ばれる獅子舞がやって来るのです。邪気を払い、幸運を呼び込む力があるようです。太鼓や鉦の音に合わせてライオンが踊るのですが、その音ときたらドンチャン騒ぎのように凄まじいのです。新しい節目に幸運を祈るとあって、商店やレストランは勿論のこと、個人の家がライオンを呼ぶことも多く、私の出向先の会社でも毎年招いています。
シンガポールに勤務していたときのこと。会議室でアメリカ人と打ち合わせをしている時にけたたましい音がやって来ました。会議どころではなく、何も知らないアメリカ人は何事かと会議室を飛び出し、ライオンダンスに遭遇。最初は呆気にとられた顔をしていましたが、そのうち一緒について行ってしまいました。ライオンが意外と愛嬌のある顔をしていたからかもしれません。
みんなに幸運をもたらそうと、ライオンはオフィスを隈なく回り、トイレに逃げ込む人がいようものならトイレも襲撃します。これにはさすがに驚きました。ライオンは立ち上がると、途端に大きくなります。二人で演じ、後ろの人が前の人を肩車するからです。
ライオンダンスは、実は旧正月だけではなく、新装開店の時などにも招かれます。注文があれば、一団を乗せたトラックはどこへでも走るのです。あたかも獲物へ向かうライオンが街中を駆けているかのようです。
■「チンゲイパレード」
シンガポールの公用語は中国語、マレー語、タミール語、英語で、多民族国家を象徴しています。中でも国民の七割は中国系ですので、旧正月はひときわ盛大にお祝いします。その最大のイベントは、人民協会が主催するチンゲイパレードです。
「チンゲイ」とは、衣装と仮装の芸術という意味の福建方言を語源とします。今では、中国系のみならず、インド系、マレー系はもちろん、他の国々や企業を加えた五十以上の団体がこのパレードに出場します。日本も日本人会が毎年参加しています。シンガポール独特の多民族文化の神髄に触れるなら、チンゲイパレードに勝るものはありません。きらめく山車、舞い踊る龍など他民族の人々が一堂に会してパフォーマンスを披露します。
私が観たチンゲイパレード(2017年)では、日本人会が「ソーラン節」の原曲を取り入れ、踊り隊に加え、大きな網を持った漁師隊、大漁旗隊の総勢450人が参加し、水しぶきを上げて観客を湧かしていました。
もともと中国系の人々は爆竹を鳴らして、旧正月を祝う習慣があり、当初は爆竹で祝っていました。しかし、1972年に事故が起きたため、爆竹は禁止となり、次の年からチンゲイパレードに変更しました。華やかな仮装や仕掛け物とともに繰り広げられるパフォーマンスは、観客を大いに熱狂させます。
?このイベントを観ていると、民族融和への多民族国家の想いが伝わってきます。大がかりな演出は愛国の感情を喚起し、国家意識を高揚させます。そこには日本の新年の淑気とはまったく違う華やかな空気があります。国のかたちは、新年の迎え方、祝い方に顕著に現れるとつくづく思いました。