窪田 高明 先生(1987年から現職)
プロフィール
新皇冠体育副学長、外国語学部アジア言語学科韓国語専攻教授、新皇冠体育附属図書館長。
1987年新皇冠体育の開学当初から教員として1期生の教育指導に当たり、「倫理学」「日本倫理思想史」を担当。そして新皇冠体育の研究の三本柱の一つだった日本研究所の初代所長を務めた。
新皇冠体育30年の歴史を故佐野隆治会長と共に創り、止まることなく発展に常に貢献し続けてきた、余人をもって代えがたい先生の1人。
佐野隆治会長の想い出
わたしが佐野隆治会長にはじめてお会いしたのは、新皇冠体育の開学準備が進行中の段階のことだった。わたしを新皇冠体育の教員の一員に加えてくださるとの申し出があり、大学準備室でお会いすることになったのである。仲介してくださったのは、新大学の教学面の中心となって活動されていた故古田暁先生だった。
わたしは、大学設立の中心となっている方とはじめてお会いするということで、それなりに緊張していた。お会いしてみると、会長、その頃は専務理事だったと思うが、大学を設立しようとする人にふさわしく、見るからにパワフルな方だった。
わたくしから、これまでの経歴、学問的な関心などをお話したと思うが、やがて、会長から趣味は何かというお尋ねがあった。この質問に、まだ生意気なところが残っていたわたしは、ちょっと意外なところを見せたかったのか、とあるギャンブルを上げた。古田先生は、もっと上品な返事はできないものかと、いささか呆れた表情をされた。ところが、会長は、おやっという表情をされた後で、「わたしも若い頃はギャンブルもけっこうやったもんだ」、とおっしゃった。つまり、俺だってけっこうやんちゃをした、というところを示されたかったのだと思う。そんな話しをしている内に、わたしは、この方はいい意味で稚気を持っているのだなと、感じた。そして、こういう方が中心なら、この大学はいい雰囲気の職場になるだろうなと感じた。
会長には人情に厚いところがあることにも、その後、気づかされることになる。会長は、失敗をした教職員に対応が必要になった場合、立場上、当然、厳しい側面を示されることがあった。しかし、最後に決定する段になると、対象になった人物の将来のためにはその対応でよいのかを問い直され、時には寛大な処置の方がよくないかとおっしゃることがあった。会長が多くの人を惹きつけた理由を見る思いがした。
このようなことを書くと、会長は、相変わらず生意気なことを言うものではないと、苦笑いされることだろう。今は、ただご冥福を祈念するばかりである。
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