コロナ禍で一変するも、この上ない経験を得たアメリカ留学

父の仕事の関係で、私はアメリカで生まれましたが、1歳の頃に日本へ帰国したためアメリカに住んでいた記憶はありません。そのため、英語が堪能な両親と7歳上の兄がとてもうらやましく、小さい頃から英語ができる様になりたいと思っていました。その気持ちが収まることはなく、大学3年時に念願だったアメリカへの1年間の交換留学が叶いました。新皇冠体育の影響で、渡米後約5ヶ月で日本へ帰国することとなりましたが、この5ヶ月は私にとって大変充実した期間でした。アメリカの授業では、日本に比べてレポートを書く機会が多く、留学生にも現地の学生と同じレベルを求められるので非常に苦労しました。最初は早い英語が理解しきれず、ひどい文章を毎週徹夜しながら書いていましたが、日本語を勉強しているアメリカ人のコミュニティで友達を作り、語学を教えあうことで英語力を高めて壁を乗り越えていきました。
また、私のホストファミリーはイスラエル系で非常に厳格なユダヤ教徒だったため、ハロウィンもクリスマスも無く、毎日食事は野菜ばかりという厳しい環境でした。想像していたホームステイとは違い「こんなはずではなかった」と思いましたが、逆にこのような経験はなかなか出来ない、と考え方を変えることで自分とは違う価値観も面白く感じるようになりました。今でもSNS上でやり取りをするなど、関係が続いています。留学中は英語や異文化にたくさん触れたことで、宗教観や様々な文化を学ぶことができた5ヶ月になりました。

知識をアイデアに昇華させて挑んだ初プレゼン

留学から帰国していつもの日常に戻ってきたある日、インスタグラムの広告でプレコンを知りました。大学では座学の授業が中心でプレゼン経験はほとんどありませんでしたが、「時間はあるし、やれるだけやってみよう」と思いチャレンジすることを決意しました。気候変動問題をテーマに選んだのは、以前ガーナ人の知り合いから「ニーム」がガーナでは歯ブラシとして使われることもあると聞いたことがあったからです。その時は「そうなんだ」程度にしか思っていませんでしたが、アメリカ留学中に読んでいたニューヨークタイムズの記事の中で、歯ブラシによるプラスチックごみが気候変動にも関わる問題になっているという記事を見つけ、ニームの記憶と結びつきました。プレコンの広告でテーマを見た時に、ニームの枝を歯ブラシとして使い気候変動問題の解決に貢献するストーリーが直ぐに浮かび「これしかない」と思いました。

聴衆を引きつける工夫

アイデアはあったものの、知識がまだまだ不十分だったため、ニームに関する情報を発信しているNPO法人日本ニーム協会へお伺いし、取材を行いました。会長のお話や報告会に出席してニームの樹皮、種子、実や葉などすべてに薬効があるとされ「ミラクルニーム」といわれており、歯ブラシだけでなく幅広い用途に向けた研究が進められていることを知りました。
また、プレゼン経験があまり無かったため、兄や友人に何度もプレゼンを見てもらったり、海外のプレゼン動画などを見たりして、見せ方について研究しました。その中で、聴衆が飽きないよう、自宅にて栽培しているニームや、ニームで歯を実際に磨く様子を見せながらプレゼンをする見せ方を考えつきました。準備することが非常に多く大変でしたが、コロナ禍でも多くの人と関わりながら楽しく乗り越えることができました。
フィールドワークを通して深めた知識や考えを、プレゼンの中にしっかり落とし込み、自分で聴いていても飽きないプレゼンにするよう心掛けました。多くの方々と出会い、協力しながら準備に取り組めたことが良い成果に繋がったのだと思っています。

失敗はマイナスではない

本選では、想定より聴衆が多かったことで、二次予選とは比べられないほど緊張してしまい、実力を100%発揮できなかったと感じています。プレゼンの途中で、覚えた英語が出てこなかった場面があり、頭の中が真っ白になってしまい何も言えませんでした。時間を使って準備しておかないと、本番で力を発揮できないと痛感した瞬間でした。
ただ、今回失敗を経験したことにより「英語力も経験も足りていない」と気づくことができたことが一番大切だと考えています。他のファイナリストの方々を見ても、プレゼン中における立ち居振る舞いや英語の抑揚の付け方、目線を審査員から外していないなど、全てが工夫されていました。「もっと努力しなければ」と火をつけてもらったのは、今回プレコンにチャレンジしたから得られたことだと思います。
この経験を糧に卒業後も英語力を高められるよう勉強を続け、様々なことを学びたいと思っています。将来の目標等はまだ明確に決まっていませんが、これから先「人生は一度きり。悔いのないように楽しく生きる!」という考えのもと、私の進むべき道を模索していきたいと思っています。